コラムがどうとか

編集の鈴木です。ここの編集の仕方がよくわかりませんが、一応コラムを書くように約束してしまったので今日じゅうに何か書こうと思います。 ただいま4月30日の23時58分です。がんばります。

私事ですが先週末まで知人の演劇の手伝いをしていました。サークル主催の新入生歓迎公演ということで、知人が主演兼脚本兼演出をつとめました。わたしも端役で出させていただいたのですが、ビスケットを貪食したり野菜をセットしたりカツラを鮮血に漬けたり、演技(というほどのことでもなく、というのは『鈴木君は素のままで完成されてる』『社会不適合者っぽい』との仰せ言を件の知人より頂戴いたしまして、いかような意味合いなのか判別しかねる所存ではありますが、とかく小生、頃日よりポジティヴ・シンキングをこころがけておるゆえ、巷間でも『彼奴はポジティヴ・シンキングの末裔に相違無い』云々と専らの噂にござると聞き及んだことがある気がしたが、まちがいなく気のせいですべては自分の妄想だと思われる。やはり社会不適合者なのでしょうか?……)以外にも暗幕の裏で種々の雑事がいろいろあって結果的に上演時間中は雑事と演技のループ&ループで、とすれば表舞台と裏手を交互に行き交うはめになるのですが、暗幕がなんか微妙に尺が足りないのかなんなのか、それとも元来そういう仕様か、ループごとにサッと出てサッと引っ込んで、初演にもかかわらずのこのスマート加減、ああ! と悦に入っているにもかかわらず、実状では背後より表舞台の照明が、あけっぴろげに現今のおのれの居場所、すなわち幕の裏側の暁闇へダダ漏れ状態、ということはおのれの後ろ姿、ああ! と阿呆面をもってして悠然と悦に入る阿呆姿も表舞台をつきぬけて観客からダダ漏れ状態と推定、演劇学専攻の知人の知人諸氏から殺意のインプットされた眼光で睥睨さる、むろん無言で、とそんなバッドなシチュエーションが出来して人間としていたたまれないので、そんな苦い経験に留意し再度、サッと出てサッと引っ込んで→ああ!→ダダ漏れ→殺意のインプットされた眼光、とそんなバッドなシチュエーションがあまた出来しまくりまくって心が折れました。しばらく演劇はやりません。

やるかやらないかはともかく、やった感想としては、演劇のほうが集客性は高いなあ、というのが第一のものであります。かぞえて五回も上演したわけですが、多い回で60人、少なくとも30人はお客さんが来たので、それだけで負けた気分になりました。

第二に、これ脚本書くの大変だろうなあ、と思いました。じつは脱稿後もギリギリまでこまかな内容が練習現場――俚諺にいわく『稽古』なるもの――でアップデートされていったのですが、そのたびに人間関係も筋も複雑繁多を上塗りしていき、最終的には七人の役者がいっせいに演技をしたりしてまさに七人の侍、とはいえその背後にはかれらをあやつる一人の忍びの者が、ってあれは農村が落ち武者にどうこうin戦国時代って映画なので忍者がどうこうって意味不明、ってまあとにかく結論としては、演じるほうも大変だけど動かすほうは大変だろう、とおなかが減ったので稽古でなく素で、ビスケットをむしゃむしゃしながら漠と感じた俺であった。~完~

時間があればもうちょっとそれらしいこと書けそうなのですが、日付をまたいでしまったのでもうやめておきます。太宰治を読んだことがないくせに饒舌体に挑戦してしまったせいでポジティヴがどうとか、病的な筆致になってしまいましたが某は正常です。約束やぶっちゃってごめんなさい。