超能力モノに関する考察(1)

超能力モノって意外と難しいと思うんですよ。

たとえば、能力の発動に一定のルールを設けるか設けないかとか。

物書き初心者への手ほどきやってるサイトを巡ってたりしてよく見るのが、

「制限」という表現なんですね。

 

能力の発動にはこれこれといった条件が必要、とか

作用する範囲も半径何メートルとか、触った場所だけとか、

発動させられる時間も何秒だけとか、それこそ一瞬とか。

まあこういう感じの「制限」を何かしら設けましょうって言うのが大多数だと思います。

 

それ自体には異論はありません。

だっていきなり「俺の能力は俺以外のやつの能力を無効化する! 射程は無限、効果は永続だ!」

ってやられても困りますからね。もはや作品成立しないし。いやまあそれに近いことやってる作品はありますけど。

 

とにかく、ラスボスがそれならまだしも、レギュラーキャラにそんなん居たら

後に待つのはインフレの嵐ですから、「制限」は確かに大事です。

でも、それ以上に大事だと思うのが「柔軟さ」だと私は思うんですよ。

 

成功した超能力モノと失敗した超能力モノを見比べていて思ったんですが、

失敗した方って往々にして作者が困ってるんですよね。

はっきり言えば「キャラの(そして能力の)扱いに作者自身が手に余っている」とでもなりましょうか。

 

「制限」を掛けた結果、ある能力はどうあがいてもワンポイントな扱いしか出来ず、

またあるキャラクターは他の誰かとセットでないと、ないしそいつ単体ではないと活躍のしようがない。

そういう状態に陥っている作品ってたいてい失速してそのまま終わってると思います。

逆に、成功した超能力モノにはそういう感じが全然見受けられないんですよね。

 

それは「柔軟さ」があるからではないでしょうか。

私の言う柔軟さは二点あります。

・キャラクターが能力を扱う上での柔軟さ

・作者がキャラクターを動かす上での柔軟さ

の二点です。

 

私はジョジョが大好きなので、ジョジョを使ってこれを説明しようと思います。

前者はつまり「能力をいかに状況にあわせた使い方ができるか?」ということです。

四部の主人公・仗助の能力(スタンド)は「拳で触れたものを『なおす』ことができる」です。

人間の怪我を治し壊れたモノを直すのに始まり、人間と岩、人間と本を混ぜて『なおす』ことにより一体化させることまでできます。

これが応用を利かせると、たとえば「自分の血液を封じ込めたガラス片を作成、それを遠くに飛ばした後にその血液を『なおす』ことにより、敵の服に付着した自分の血液にホーミングさせて攻撃する」といった芸当までできるようになります。

ただ『なおす』と言うと防御・補助に徹するイメージがあるのですが、解釈のしようによってはこのように攻撃にも転化させられるというところに「柔軟さ」があると思いますが、どうでしょうか。

 

ちょっと長くなりそうなので一旦切ります。続きは次回。たぶんちゃんと書きます。